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二歩サガリ。。

同い年より、2才年下、二歩サガリ。 

僕がむかし、人としゃべれるようになったという話

 おばんです。

 

 今日も今日とてネットの海をさまよっていたら、緘黙という言葉と出会った。

 

場面緘黙症

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)別名、選択性緘黙。英語名、Selective Mutism

概要

 場面緘黙は、ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象である。子供が自宅では家族らと問題なく会話をしていても、学校や幼稚園など家の外では全く、あるいはそれほど話さず、誰とも話さないという例は多い。そして、その子供は非常に内気な様子に見え、グループでの活動に入りたがらなかったりする。 たいていの場合、発話以外の、表情や動作やその他のやり方であれば、人とコミュニケーションを取ることができる。また、脳機能そのものに問題があるわけではなく、行動面や学習面などでも問題を持たない。
 単なる人見知りや恥ずかしがり屋との大きな違いは、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があるという点である。(by Wikipedia-場面緘黙症 ) 

 

 

  後半に書いている通り、簡単に言うと重度の人見知りのようである。しかし、たかが人見知りとはいえど、そこは病名にもなっている程だからこの病気に悩み苦しんでいる人もいるのだろう。

 なぜこの話題を取り上げたのかというと、まぁ僕にも思い当たるフシがあるからだ。しかしながら僕はそれに関して悩み苦しんでいることもないし、対人関係もそこそこ満足できている。なんならもうちょっと友達がほしいぐらいだ。つまり、いまの僕はただの人見知りであるようだ。

 

入学当初、僕はほとんど喋らない子だった

 では、僕のどこに思い当たるフシがあったかというと、それは小学校時代に遡る。

 小学校に入学した頃、僕が一番仲が良かったのが、家の裏の方に住む、ユウキくんという子だった。彼はスポーツ万能成績優秀で、ルックスもかなり上等であった。なによりもリーダーシップのある、つまりガキ大将気質を持った性格で、ドラえもん出来杉くんとジャイアンを足して2で割ったような子だった。

 そんな子と、クラス内で決して目立つ存在ではなかった僕がなぜ仲が良かったかというと、やっぱり家が近かったからだ。毎日いっしょに登校していた。ただそれだけの事。本人が本当はどう思っていたのかはしらないが、僕はそれだけだったんだろうといまでも思う。僕はできすぎる彼のことが怖かったのかもしれない。

 

 先程も言ったように、ユウキくんはクラスの先頭に立って遊びをしたり、話をしたり、ときにはイタズラをしたりしていた。そんな中で僕は何をしているかというと、ユウキくんの後で何かをぽそぽそとしゃべっていた。するとユウキくんは僕の言葉を聞いて、「なりますくん(僕のこと)がこう言っているからこうしようよ!」とみんなに広げていた。もちろん全部が全部をユウキくんが採用してくれるわけではないが、彼はよく「なりますくんがこう言っているよ!」と言って、僕の言葉を友達みんなの前で拡散してくれていた。彼がある程度僕の考え方を気に入ってくれていたのか、それとも子分的な扱いだったのかなんなのかはよくわからないが、よく僕についてくるように指示し、それこそ登校から下校まで一緒に生活をしていた。

 彼の後ろにくっついているという点では、先ほどのドラえもんになぞらえれば、スネオのような存在であるかもしれない。しかし、僕とスネオの大きな違いは、僕は決して、クラスのみんなに向けて自分でしゃべるということをしなかった。もちろん授業の時も自分から手を挙げることなんて出来ない。

 僕は、ユウキくんという拡声器を通さなければ、自分の意思をクラスの友達に伝えることが出来なかったのだ。

 

 そして、引用した場面緘黙症と同じように、僕は家のなかではこうではなかった。両親の前では好きなようにしゃべって、好きなようにしゃべらなかったりした。どちらかというとよくしゃべるすっとぼけたやつで、いまの自然体な時の僕に近い。まぁあたりまえだけどね。

 小学校に入る前の幼稚園ではどうだったかというと、正直ほとんど覚えていない。しかし友達はいたようだからコミュニケーションはできていたのだと思う。小学校に入って、他のみんなは同じ地区内にある幼稚園からスライド式に友達がいるのに、よそのちょっと遠いところの幼稚園に通っていた僕一人が立ち向かうのには、ユウキくんという存在はとても心強いものであり、同時に、彼に依存して自分を表現することを放棄してしまっていたのかもしれない。

 しかし、そんな生活を続けて2年生の終わりの時、ユウキくんは突然転校した。それでユウキくんという唯一の伝達者を失った僕はどうしたか。僕は、次なる伝達者を探した。

 

親友と呼べる存在、そして変わり始めた僕

 1,2年生のときは隣のクラスだったショウタくん。彼もまた、クラスの中で中心的な存在の子だった。彼は陽気で優しい性格の持ち主で、誰とでも仲良くなることができた。ここでも重要な事だが、彼もまた、僕の家の近くに住んでいた。

 ここで誤解しないでいただきたいのだが、当時の僕は意識的にユウキくんの代わりとして彼に近寄ったわけではない。ただ、ユウキくんがいなくなった上で2年毎に行われるクラス替えをした結果、ショウタくんがたまたま同じクラスになって、たまたま彼と僕が気があっただけである。当時の僕が伝達者という存在を意識していたわけではなく、いま思い出すとそうだったというだけの話である。

 なぜだかは分からないが彼とは非常に気が合った。彼はクラスの中心的な人物ではあったが、間違いなく僕と親友と呼び合える存在だった。

 この頃になると、低学年のころほど僕は喋れない子ではなくなっていた。1対1ならば友達と何ら問題なく会話ができるようになっていたし(いやたぶんこれ自体は幼稚園の頃はちゃんとできていたが)、ある程度の友達たちの中では、自分の意思をみんなにむけてしゃべることもできてきた。これはひとえに親友となったショウタくんのおかげであると言っていい。

 彼は最初は僕と1対1で話すのだが、次第に周りの人を巻き込んでどんどんその輪を広げていった。ユウキくんは僕の言葉を彼の意思としてみんなに拡散していたが、ショウタくんは僕と彼との会話の中にほかの子たちを後から混ぜていくことで、僕を会話の中心に据えてくれた。そうして僕は、彼のおかげて自由にしゃべることのできる友達を少しずつ増やしていくことが出来た。

 

最後にまとめっぽいことを

 もし、小学校に入学した時にユウキくんがそばに居てくれなかったら、もしかしたら僕は本格的な場面緘黙症として、外にでると一切人と話すことが出来ない人間になっていたかもしれない。

 もし、ショウタくんが僕と仲良くなってくれなければ、うまく友達を作ることも出来ず、ただひたすらに本を読むだけの寂しい学生生活を送っていたかもしれない。

 どちらが欠けていても、僕はいまの僕でいることはなかったと思う。僕はいまの僕にある程度満足しているし(それでもダメなところを挙げるとキリはないが)、数は少ないが友だちもいる。初対面でもある程度コミュニケーションをとれる。いまでも人が3~4人以上いるときは極端に物静かになったりするけど、もともと人の話を聞くのは嫌いじゃないので、これでもいいと開き直っている。まぁ時々落ち込むけど。

 場面緘黙症という言葉を知って、そういえば自分にもこんなことがあったなという話でした。

 

ついでに

 親友のショウタくんはこのあと4年生の終わりに引っ越してしまいます。その前の3年生の終わりにも、僕と特別仲の良かったコウタくんが引っ越ししてしまっており、僕は本気でなにかに呪われているんじゃないかと思いました。なので、次に仲良くなったケイくんに5年生の終わり頃に何度か「引っ越さないよね?!」と詰め寄ってたりしますが、これらのエピソードはまたいつか書きたいと思います。

 

 んではまず。

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